【大阪市東住吉区】約50年の前の地図を手に、チンチン電車の南海平野線中野駅。
らーめん亭さんで見せていただいた地図やお話で でんしゃのりばの石柱は地下鉄や近鉄線ではなく路面電車(チンチン電車)の南海平野線の中野駅だとわかりました。掲載していいのか日地出版株式会社さんを検索、数年前まで権利を所有していた会社さんに権利関係を調べていただいたのですが現在会社が無くなってしまってました。地域の子供さん達にも参考になると思いますので使わせていただきます。よろしくお願いします。昭和47年の地図として約50年前の地図です。中野駅は写真右側に赤字で書かれています。石柱の案内は路面電車(チンチン電車)南海平野線中野駅で間違いないかと思います。庚申街道も南北に通っているので。 記事を書きながらもかなり貴重な地図だと驚きます。
こちらは田辺駅から桃が池駅です。その先が見えにくいのですが文の里駅も見えます。 ここから先は今回の記事では調べていませんが、恵美須町の方まで延伸してたそうです。
東の方は終点のまでのルートと南海平野駅がどこにあるかばっちり載ってました。よく見ると平野流町に東住吉区役所があります!? (写真向かって右側) ☆後日談:平野区は東住吉区から分かれたそうです。らーめん亭さんご主人さんからの情報です。
中野駅で不思議だったのが昔からある庚申街道をまたいで書かれているのと、ずらして書かれているのがあり迷いました。
現地で迷っているとアトリエ観(みる)の山中先生がちょうど植物の手入れで来ていて教えていただきました。
庚申街道を挟んで文の里行きと平野駅行きと乗り場が分かれていたそうです。写真は北側から南側へ撮った庚申街道です。上に阪神高速松原線が通っています。駅は平野駅行きと文の里方面行きとで東と西にホームが分かれていたそうです。
阪神高速松原線の下に路面電車(チンチン電車)が走ってたと知りました。今回見つけた貴重な石柱の取材結果は以上です。今現在チンチン電車や町の事の歴史に詳しい方に協力していただき取材していますので、少しずつ紹介していきたいと思っています。